長いこと観念的に気学を学ぶ人達へ教室で教えていた(遁甲)。やさしい気学で伝えたくてその意味を階段式に伝えたり、物語り風に伝えたり様々な工夫をして教室を続けて来た。
私の生きる人生の難所を通過する時、観念的に教えてきた(遁甲)の意味が深く染み入りだして、あぁこういう事だったのかと、経験と共にそれぞれの意味をしみじみ味わったものである。取り分け衰運の5年間は筆舌に言い難いほど険しい道であった為に尚更だった。
極めて単純なことであるが、(降り止まぬ雨も無ければ、日照り続き)という事は無い。だから、人生は苦あれば楽ありと誰もが口にする、この言葉そのものが(陰極まって陽の始まり)と言う事だ。
今年からやさしい気学教室を再開する事になり、今縁あって学ぶ人達には,より味わい深く伝えられる。どの時期で習っても内容は同じでもたぶん深みが違うはずだ。 感動を与えられる様な気学を伝える事に今、静かに燃えているのです。