2007年10月5日金曜日

名前をつける

私の祖父は万年暦を読んでおり、易の通りに屋敷の配置がなされたようだ。幼い記憶だから少し外れも有るとは思うが家長として、厳格なまでに自分の一族を気使っていたようだ。その祖父が私が生まれる時に母と大ケンカしたらしい。
名前をつけるに当たり、7月23日は大暑で此処を境に秋に向かうのだから、それらしく名前を付けろと言う訳である。母は宝塚の(00千鳥)と言う名前の人にあこがれていてその千鳥を私に付けようとしていたのだ。(千鳥でなくて良かったと胸をなでおろし祖父に感謝している。)
祖父はまず、濁点は駄目だ。空を渡る浮き草のような千鳥なんて子供の将来が不安だ。等などの理由で頑として聞かず、私の名前は(あきこ)になったのでした。別に婿に入ったわけでもないのに祖父の言いなりの父も何だか?。と思っていた。私はそんな祖父の愛情は随所に受けて育ったがまるで父のような存在であった。易学的に観ればやはり子供の名前は大事だと言う事がよく判る。呼んでみて由。書いてみて由。字面も由。画数も一番大事である。
子供が授かった、天からの贈り物、せめて名前を愛し将来に良いように名付けてほしいものだと願っている。