2007年10月22日月曜日

気学

後天定位の意味は気学の一番の基礎となるものです。大自然の動きを九気で表しているのです。例えば今は秋の真っ盛り。一日の黄昏は西に日が傾く時で空は茜色に染まり、日中の騒々しさも消えて静寂が訪れる時。これを一年に例えれば春に発芽した植物が夏の繁茂を過ぎて、静かに迎える紅葉の秋。
人々は収穫を祝い飲食に興じ憩うことから、(休止、悦び、飲食)意味として七赤金性を配置したのです。
このように九気には、それぞれ定められた場所が有りますが、年、月、日、刻、一定のリズムで規則通りにそれぞれの位置を移動して一周し9つ目にまた元の位置に戻るのです。

2007年10月20日土曜日

ロンドンから

ロンドンから電話鑑定の依頼が来た。彼女は仕事で赴任するご主人と家族で夏の終わりに旅立ったばかりである。昨日は寒くてマフラーに厚手の手袋をして出かけていると言っていた。
一足早く寒さを味わい、冷え込みの酷い朝はブルブル震えている、らしい様子が話の中から伺える。日本の友人達は良いわね、海外で暮らして)なんて羨ましがるが、彼女は早く日本へ帰りたい、と心細く話す。
環境の違いとなれない仕事でやさいしい夫も何だか、ロンドンの天気と同じくいつも不機嫌だと話す。それぞれの妻の立場は上に行くほど大変さが滲んでくるようだ。
故郷ふるさとから(メール、電話、)で癒したいと切実に思う日でした。

2007年10月16日火曜日

手相

ホームに慰問に行った。平均年齢は80歳。10名程度の比較的裕福な人たちばかりの有料ホームだ。 一時間はかなり長い時間で話す私よりも耳を傾けてくれる人たちが絶えらるかどうか案じたが心配することは無かった。
一番興味を引いたのは誰もが自分の命の長短を手相に見つけたいと、それはそれは真剣に挑んでいる。お独りお一人の手を観てまわる事で、あっという間に一時間は過ぎていった。 長生きしたいのではなくて、何時なのかを知りたい欲求で有った。
皆さんの手相のしわに刻み込まれていたのは生命線の長さと運命線の長さ、そして晩年に見られる勢いの線で有った。皆さん長生きで~す。と伝えるとニコッとした後一斉に複雑な表情をされた。  毎日変わると言うがそんなには変わらない。
変化が起きるのは、危険を知らせる印だけである。

2007年10月15日月曜日

かすかに秋です

甲州街道を走っていると街路樹のケヤキの葉の上の方が色づき始めた。下界は半そで姿が消えて、長袖のシャツに代わった。朝夕は気持ちよい風が吹き渡るようになった。
もう10月半ば、あっという間に今年も終盤を迎えて気持ちが忙しなくなってくる。誰もが今年こそは結婚をしてと言う夢も、今年こそは仕事を成功させて、今年こそは入学して、などなど尽きない思いを抱えながらの日々だ。一年を半分に割ると、6月の夏至までに凡その準備をしていないと後半はあっという間に過ぎてしまう。
どれもこれも誰にも大事な問題であるからこそ、私達にはいつもバイオリズムを知っておく知恵はほしいものである。占いはそんな貴方に必要なのですから。

2007年10月8日月曜日

御苑でワンコイン占い

 10月6日は御苑の花園通り商店会で秋祭りでした。私達も新店なのに参加をさせていただいた。最初はなんだか様子が見えずオロオロしていたが、通りの小道の木陰の良い場所を頂き、ワンコイン占いをしたのです。
ソ、ル先生は霊感前世リーディング占いで、結先生は気学で、それぞれの得意な占いをしたのです。初めて行列が出来た事で、先生方は高揚しているらしく郊外の人の気を取り入れながら楽しそうに仕事が出来たのです。
今日はよき日、何事も地域に支えられてこその 商い である。二人もそうだが社員揃って元気を戴いたお祭りでした。お客様にも、商店の役員さんにも地域の皆様にも、みーんなに感謝する事の出来る一日でした。

御苑でワンコイン占い

 10月6日は御苑の花園通り商店会で秋祭りでした。私達も新店なのに参加をさせていただいた。最初はなんだか様子が見えずオロオロしていたが、通りの小道の木陰の良い場所を頂き、ワンコイン占いをしたのです。
ソ、ル先生は霊感前世リーディング占いで、結先生は気学で、それぞれの得意な占いをしたのです。初めて行列が出来た事で、先生方は高揚しているらしく郊外の人の気を取り入れながら楽しそうに仕事が出来たのです。
今日はよき日、何事も地域に支えられてこその 商い である。二人もそうだが社員揃って元気を戴いたお祭りでした。お客様にも、商店の役員さんにも地域の皆様にも、みーんなに感謝する事の出来る一日でした。

2007年10月5日金曜日

名前をつける

私の祖父は万年暦を読んでおり、易の通りに屋敷の配置がなされたようだ。幼い記憶だから少し外れも有るとは思うが家長として、厳格なまでに自分の一族を気使っていたようだ。その祖父が私が生まれる時に母と大ケンカしたらしい。
名前をつけるに当たり、7月23日は大暑で此処を境に秋に向かうのだから、それらしく名前を付けろと言う訳である。母は宝塚の(00千鳥)と言う名前の人にあこがれていてその千鳥を私に付けようとしていたのだ。(千鳥でなくて良かったと胸をなでおろし祖父に感謝している。)
祖父はまず、濁点は駄目だ。空を渡る浮き草のような千鳥なんて子供の将来が不安だ。等などの理由で頑として聞かず、私の名前は(あきこ)になったのでした。別に婿に入ったわけでもないのに祖父の言いなりの父も何だか?。と思っていた。私はそんな祖父の愛情は随所に受けて育ったがまるで父のような存在であった。易学的に観ればやはり子供の名前は大事だと言う事がよく判る。呼んでみて由。書いてみて由。字面も由。画数も一番大事である。
子供が授かった、天からの贈り物、せめて名前を愛し将来に良いように名付けてほしいものだと願っている。

気のながれ

大自然の中で営みをする人たちは時に気の流れに身を任せてきる術を心身で感じているのかもしれない。 何気ない平穏の日々の中にも風は吹いてきて、その風が天気の変わり目を知らせたり、山の上に掛かる雲の流れで雨や雪を予測できたりする。満天の夜空の星で明日の天気が分かるように。
そるチャンのおばあちゃんは言っていたらしい。運命や定めと言うのが人の世の常だが、時々無情の風が吹くねぇ、、。
都会の片隅で人に元気と言う気を送りながら、精魂なくしてわが身にも無情の風が吹いて居るような切ない思いにさせられる時が有る。それでも辛抱していると気の流れは確実にやってくる。一番先に来るのは我が心の気が動き出す時である。多分居ても立っても居られないほど、店が気になりだしたら確実に気の流れは変わっていて追い風に助けられている証拠である。そんな経験あなたも感じた事ありませんか?。