2007年12月30日日曜日

感謝を込めて有難う//

平成19年もどうにか無事に終えることが出来た。何よりも有り難かった事は、新しい職場が出来こと。そして何よりも健康で過ごせたことは何にもまして有りがたい事であった。日々奮闘する事が何よりの力になり元気を作り出してくれたのかもしれない。

かつて(あなたは人が財産よ)と言われたことが有ったが、その意味からしても若い人たちとの交流が盛んに拡大したこともありがたい事であった。

新宿の通りを一丁ほど行くと人でごった返しているのにここ御苑は静寂そのものの暮れである。来る春を思いながら私も静かに反省やらら希望を書いたりして過ごしている。

一白水気の来年は日本全体が一応区切りがついて物事が終了して、新しく始まる年。子の年だ。新年を迎える準備も済んだ。さあ、気分を引き締めて無病息災を願いながら、元日のお参りに行く準備でもしましょうか。

お世話になりました、ご縁のある方々、ブログを呼んでくださった皆様、先生方、何よりも裏で支えてくれた Kさん、とKさん有難う。皆様に感謝で一杯です。来年もどうぞ宜しくお願いいたします。

2007年12月26日水曜日

毎日通った新宿御苑

今日は終日静かだ。夜になっても静かで騒々しさがまったくない。夜が更けてくるに連れてだんだん寒さも深くなるようだ。大掃除も何とか終えて、みんなへの労いも終えた。

遣り残したことは無いのか、あれこれと様々な思いがよぎる。毎日がお盆とお正月のようだから何にもしないと言う人が増えてきたが、やはり、松は飾りたいと思う。もちろん神棚にだけはお供えのお餅を飾り、南天か、千両の赤い枝をさりげなく飾ろうと思う。

今年は忙しく毎日御苑に足を運んだ。忙しい年であった。新しい年は(子年)で忙しく展開しそうだ。さて、私は残りの日々を新年の希望を書く練習でもするとしましょう。

2007年12月24日月曜日

新宿御苑

丸の内線、新宿御苑2番出口を階段を上がって出るとそこには、占いの赤い文字の看板がまず目に入る。我が家の電車を利用している先生方はその看板に、いつもおはよう//と声をかけて、持参してきた雑巾を手にきれいに拭いてからお店に入るようになった。誰が教えたわけでもないのにいつしか申し送りのようになってきている。本当に感謝するばかりである。

銀杏の葉もほとんど消えて、小枝に少しばかり残っている葉っぱもなんだかぶるぶる震えてきた。さすがは師走だなーと感じる。この御苑の町に来て半年が過ぎた。夏の盛りの暑さから随分とゆっくりした秋の時間が有り一年が過ぎていった。

この町にも少し溶け込んできたが、まだ一度もお尋ねをした事がない御苑の中を、春になったら、くまなく歩きたいと念じている。

2007年12月21日金曜日

新年の吉方位

聖書にこう書いてある。神様はいつもあなたと共にある。だから思い煩う事は何も無い。

天の父よ//今日1日の私達に必要な糧を与ええて下さい。

わが子を思わない親などはいない。まして天の父である神様はなおさらの事祈りを聞いて下さる。気学の吉方位の散歩の効果も同じである。やった方が良いに決まっている。

最近私も時間が無いのと、行動が鈍くなった性で、中々吉方位の散歩が出来ない。自分と相性の良い場所への吉方位散歩は、その行動そのものが、自分の心の願いが凝縮されて行き散歩への道は祈りモードが出来上がる。目的達成も早いのである。

無病息災や、五穀豊穣、の意味がようやく分かってきたこの頃、祈りの最初はやはり無病息災を願い、一途に五穀豊穣を願い、縁ある人達の幸せを祈り、新年は相性の良い吉方位へお参りしたいと今から準備をしている師走の今日なのです。

2007年12月17日月曜日

寒くなった夜

急に寒さが厳しくなり始めた。北国育ちの友人は、背中がスーとするような冷えがくると、夜空を眺めて、アッ、雪が降るかなぁと感じるらしい。 やめてよ年内に降ってほしくないわ// と私は小さくつぶやく。

南国育ちの私はめっぽう寒さに弱い。雪のことは体では分からないが、風邪や雨や、季節の変わるのははっきり分かる。たぶん傷の性かも知れないが。友人の目は遠い故郷を思い、雪と一体化していて、積もるの降るのも当たり前なのかもしれないな。

しかし、こんな寒い夜はおこたで鍋料理でもして温まりたいな//

2007年12月15日土曜日

一白中宮の12月節

来年度のミニチャ盤の今月、いよいよ本格的にその現象が現れてきています。

私たちの身近な生活面、政治の動きなどみても盤上に六白暗剣殺で、役所、公的関係、などへ厳重な注意を伝えております。政府の動きの悪さや、トップの苦しさに比べ野党の動きも変動、変化の兆しが見れます。

日本中の子供に災難が起きているのも、六暗剣殺の影響が大です。国家や、警察、などは只さえ多忙な時期なのに、凶弾や事件に日々終われることになりそうです。スポットが弱いもの子供達に当たっているのも今月の特徴です。各人が自分を大事にして自分を守って過ごすより方法はありません。

とにかく例年のような年末ではなくなってきましたが、せわしくなってくるのはこれからでしょうか?

2007年12月12日水曜日

吉方位の作用

彼女は吉方位の散歩を3回目で、方位の持つ特徴や必ず確信に近い出来事が起こる事をつかんだようである。12月に入ってからの散歩はたぶん寒くてきついかも知れないなぁと私は案じてもいる。

でも、その作用の10日間が自分を見つめるよい時と思っているようである。最初彼女に出会った時は、真夏の最中であった。今時、珍しくきれいな日本語を使いでやさしく話していたのが、凄く印象的であった。モデルさんのようにスタイルもよく美人なのにいつも謙虚であった。

いつしか、交流を持つようになり我が家の忘年会や様々なイベントにも無理を言って誘っている。が、一度も嫌な顔をされた事がなく感謝するばかりである。あれから6ヶ月経ったこの頃になっても、最初に会った時と変わらぬ姿勢でお付き合いさせて貰っているが、本当は無邪気で甘えん坊で素直な人でとても可愛い人だ。

来年は待望の恋愛結婚最高の年に入る彼女は、自分の信念を貫き、ウィデングの鐘を鳴らすだろう// 幸せな花嫁さんになるように吉方位の散歩が応援してくれているようでならない。

2007年12月7日金曜日

今日から12月節

タクシーに乗ったら運転手さんに、外は寒いですか?ときかれて私は夕方になったら風が出てきて冷たいです。と答えた。すると運転手さんは(そうですか、今日は大雪だものな )と話した。何だか料金の上がったせいでサービスしてお話をして下さるのだわと、何気に聞いていたのだが、24節季の大雪の事は巷では余り知られていない。

そういえば、師走に入るのは今日からで陰暦では12月の始まりだ。と他所から知らされた感じがする。アレもコレもと思いながらやはり師走の気忙しさが募ってくるようだ。

出来るだけ連休までにやるべき事を仕上げてと計画だけはしているが、中々思うようにはかどらないで、最後まで忙しくなるのだろうの予感が募るのです。

2007年12月6日木曜日

美の巨人たち

みんなでその日の来るのを心待ちにしていた。そしてその時間は当番を決めて番組を録画する事にして準備態勢を敷いていた。大げさにならないようにそしてなるべくならひけらかさない様に、そして嫌味にならないように配慮しながらその日の来るのを待ちわびていたのです。

カダケスがはじめて電波に乗るというので嬉しくもあり、お店がどんな風に移るのかしら?なんてみんなで騒いでしまいました。寒くなり始めた頃、アルバイトの人が占い(手相)を見る人を探しているというので、ほんの少し協力するだけでした。でも、待っている日よりも先に放映されてしまい、お店のだーれも見る事が出来ません。

わざわざ、日曜日に出てその番組に協力しました。いついつ放送するという連絡もありましたが変更する連絡は無し。おまけにお店の名前を間違えてテロップを流していたと、後になりお客様から伺った。こんなすばらしい番組なのに//  ぇえ、どうして?

言い出せばきりが無いが、おまけに出してあげたという様に相手の思い上がりと、ひたすら待っている協力者とでは身分が違いすぎるのだろうか。なんとも言えない後味の悪さばかりが募ってくる。業界は特別な人の集まりなのだろうか?と疑いたくなる。

私もメンバーも数日かかって、ごめんね、もう放映されたのよ。ってお詫びの数日を送っているのです。

2007年12月3日月曜日

鴨川のおらが丼

縁あって日曜日鴨川へ出かけた。海ほたるに何年ぶりに寄ったが、沢山の人で賑わっていてどこも混雑している。

随分昔になるがアクアラインの通行料金が4500円の頃、 その日はお天気が段々悪くなり午後3時を過ぎた辺りから小雨に混ざって小雪がちらつき始めた。 冬の海は波が大きく、海ほたるもかなり揺れていた。人影もチラホラで、それでも先を目指して車を走らせたが、一人の運転では心細くて、ほとんど貸切状態だった道を不安と一緒に走った事が思い出された。

お天気に恵まれたきのうは車が多く、多少冬の海風はあったが眺めの良い走行である。目的地の鴨川には早めに着いた。迎えてくれたお店は(中国料理、東洋)さん。きれいに隅々までお掃除が行き届いており古いお店なのに清潔感あふれていた。

自慢の(キガおらが丼)が振舞われた。あわび、えび、イカ、ホタテ、等の海鮮が賑やかに盛られており美味しかった。自慢のマーボー豆腐はいつまでも余韻が残った、どこに行っても食べられないような工夫が随所に見える逸品である。  私の仕事の家相やイベントの打ち合わせなどを済ませての帰路は夕焼けに包まれて、お腹いっぱいになった幸せを味わい、山や畑の中を癒されながらアクアラインへと、向かったのである。

2007年12月1日土曜日

職場の第一人者になれ

初めて働く事に成った日、別に暮らしていた母から働く事についての注意みたいな手紙をもらった。何十年の昔の事でしばらくは大事に持っていたのだが、擦り切れていつしか無くなった。

職場の一人者になる事。一生懸命に働く事。職場では居なくては成らない人になりなさい。そして不平不満を言わないこと。等が書かれていたように思う。全部まっとう出来ず、不満を言いながら年を重ねた。そうこうしている内にいつしか働いてもらう人を頼む方に回り、先頭きって自然と身を粉にして脇目も振らずに働いた記憶がよみがえる。

特に自分の事より人の事は殊更動いたように思う。扉が開くのはそんな積み重ねからかもしれないなーぁと思っている。一目散に一つのことしか出来ないから仕方が無いがその人なりの顔は、まじめにコツコツ一生懸命の後にそれなりの顔が出来るのかもしれない。