今日は送り盆/ 今年は姑はどの家にお迎えされて現世のお盆を家族と過ごせたのだろうか ? 姑は寡黙な人で、話す言葉も女性としてはシンプルすぎた。用件を的確に話すので時には激しく聞こえたり、冷たく感じたりしたものである。簡素を好み女性的では無く父のような威厳ある存在であった。
昔、隣の家族にいつも、お酒を飲んでは大暴れして妻や子供を怒鳴ったり叩いたりしているおじさんがいた。私達は(今夜も気の毒にね、また暴れているよ)とその妻子を可愛そうに思っていた。姑は(そうね、不憫だねぇ//)と言っていたが。
後になってその不憫だねぇ、、は 妻子の方ではなく 暴れているほうの主人を可愛そうと言っていたらしい// 泣かされながら辛抱して子供を育て主人を励ましていた妻の方は強いから大丈夫で、どうしょうも無く家族に暴れる方が弱いなんて、、、、// 当時理解に苦しんだ私。 弱さと強さの違いがこの頃良く分かるようになって姑の心が分かるようになった。
火宅の人となっていた自分の息子も不憫だったのかも知れない。嫁の私には一緒に居てやる事が最善だったのだろう//何も言葉では言われなかったが、黙ってみて貰っていたような気がする。生きとし生けるものすべての性に対して慈悲深くこの世に生まれた者は平等だといっていたが、人の辛さや痛みを自分のものとして捉えていた感がある。
そんな慈悲の心に溢れていた彼女は六白金性生まれで、ちなみに私は七赤金性、今にして思えば親と子そのものであった。 会いたいなぁ~生きていれば94歳である。