前略 善男、善女の貴方にお電話をと思いましたが、お便りいたします。 ご案内をさせていただいた合コンは無事に終了いたしました。8月25日夕暮れ迫った四谷区民センター。処暑を過ぎても風がまだ緩みそうに無い暑い1日。私達は飲食する為の道具や飲み物や、合コンで使うイベントの企画する様々な品物を運びながら会場の11階に着いた。
受付の用意が無いので倉さんと私はイスを並べて、次々に並んで登場する参加者のリストと照らし合わせながら確認を取りました。少し渋滞も招いてしまったようです。カダケスのイベントという事で、癒しと占いをテーマに、誰もが自然体できらびやかでなく本気で結婚を望んでいる人たちへ大人の癒し開運館からのプレゼント企画でした。
恵子さんの張り切りをはじめ、真由さん、晃一郎先生、まささん、が仕切りと準備と会場の盛り上げに全力で取り組んでおりました。新人の夏季先生にもお手伝いを頂き、集まった参加者も殆どの方々がにこやかに癒されているようでした。私は店に鑑定したいお客様を待たしてあったので、早めに引き上げましたが、楽しそうでしたよ。第一回目の合コンは無事終了でした。
次は参加者のご希望で10月に予定しております。今度は是非参加して下さいね。まずはお知らせとご報告までです。
2007年8月26日日曜日
2007年8月18日土曜日
感謝しています
夜、御苑の会社を後にして駅までの間、風が吹き渡っている。この数日間の灼熱地獄の日々が辛かっただけに吹き抜けていく時の肌に触れる感じが涼風でなくても涼しい。
振り続ける雨の日々、灼熱の連日連夜、頭の中も口を付いて出る言葉も、恨めしい一言ばかりで、何一つ創造は生まれてこない//久しぶりに日陰のような中を過ごしているのは心が落ち着く。
何事も過ぎたるは及ばざるが如しという事になる。運勢もそうだ// 運が良過ぎるのも良くないし、また運が悪過ぎるのも良くない。天候もそうだ、日照りの夏も土砂降りの雨も程ほどが良い。 そして程ほど味わいながら人は想像力やそれなりの風味が出始めるのだ。
兎に角今日は、神様有難うございます。お陰さまで一息つけましたよ。
振り続ける雨の日々、灼熱の連日連夜、頭の中も口を付いて出る言葉も、恨めしい一言ばかりで、何一つ創造は生まれてこない//久しぶりに日陰のような中を過ごしているのは心が落ち着く。
何事も過ぎたるは及ばざるが如しという事になる。運勢もそうだ// 運が良過ぎるのも良くないし、また運が悪過ぎるのも良くない。天候もそうだ、日照りの夏も土砂降りの雨も程ほどが良い。 そして程ほど味わいながら人は想像力やそれなりの風味が出始めるのだ。
兎に角今日は、神様有難うございます。お陰さまで一息つけましたよ。
2007年8月16日木曜日
慈愛
今日は送り盆/ 今年は姑はどの家にお迎えされて現世のお盆を家族と過ごせたのだろうか ? 姑は寡黙な人で、話す言葉も女性としてはシンプルすぎた。用件を的確に話すので時には激しく聞こえたり、冷たく感じたりしたものである。簡素を好み女性的では無く父のような威厳ある存在であった。
昔、隣の家族にいつも、お酒を飲んでは大暴れして妻や子供を怒鳴ったり叩いたりしているおじさんがいた。私達は(今夜も気の毒にね、また暴れているよ)とその妻子を可愛そうに思っていた。姑は(そうね、不憫だねぇ//)と言っていたが。
後になってその不憫だねぇ、、は 妻子の方ではなく 暴れているほうの主人を可愛そうと言っていたらしい// 泣かされながら辛抱して子供を育て主人を励ましていた妻の方は強いから大丈夫で、どうしょうも無く家族に暴れる方が弱いなんて、、、、// 当時理解に苦しんだ私。 弱さと強さの違いがこの頃良く分かるようになって姑の心が分かるようになった。
火宅の人となっていた自分の息子も不憫だったのかも知れない。嫁の私には一緒に居てやる事が最善だったのだろう//何も言葉では言われなかったが、黙ってみて貰っていたような気がする。生きとし生けるものすべての性に対して慈悲深くこの世に生まれた者は平等だといっていたが、人の辛さや痛みを自分のものとして捉えていた感がある。
そんな慈悲の心に溢れていた彼女は六白金性生まれで、ちなみに私は七赤金性、今にして思えば親と子そのものであった。 会いたいなぁ~生きていれば94歳である。
昔、隣の家族にいつも、お酒を飲んでは大暴れして妻や子供を怒鳴ったり叩いたりしているおじさんがいた。私達は(今夜も気の毒にね、また暴れているよ)とその妻子を可愛そうに思っていた。姑は(そうね、不憫だねぇ//)と言っていたが。
後になってその不憫だねぇ、、は 妻子の方ではなく 暴れているほうの主人を可愛そうと言っていたらしい// 泣かされながら辛抱して子供を育て主人を励ましていた妻の方は強いから大丈夫で、どうしょうも無く家族に暴れる方が弱いなんて、、、、// 当時理解に苦しんだ私。 弱さと強さの違いがこの頃良く分かるようになって姑の心が分かるようになった。
火宅の人となっていた自分の息子も不憫だったのかも知れない。嫁の私には一緒に居てやる事が最善だったのだろう//何も言葉では言われなかったが、黙ってみて貰っていたような気がする。生きとし生けるものすべての性に対して慈悲深くこの世に生まれた者は平等だといっていたが、人の辛さや痛みを自分のものとして捉えていた感がある。
そんな慈悲の心に溢れていた彼女は六白金性生まれで、ちなみに私は七赤金性、今にして思えば親と子そのものであった。 会いたいなぁ~生きていれば94歳である。
2007年8月14日火曜日
晩夏
夏の土用が過ぎて、8月8日からは暦の上では立秋//なのに日本中暑い。出勤の途中ビルの間にも青空がみえて、入道雲が少し空の高いほうで、で~んと座っているように感じる。 風も北のほうから少しずつ吹いて来ている感がある。
自然界は多少のズレはあっても、間違いなく移ろう季節はやってくる。田舎の暮らしをしている友人からは朝夕の渡る風に暦と同じ季節を感じているのだと便りが来た。
東京の暑い中に居ても晩夏のにほいは私もこの、2,3、日で感じている所です。
自然界は多少のズレはあっても、間違いなく移ろう季節はやってくる。田舎の暮らしをしている友人からは朝夕の渡る風に暦と同じ季節を感じているのだと便りが来た。
東京の暑い中に居ても晩夏のにほいは私もこの、2,3、日で感じている所です。
2007年8月13日月曜日
暑い夏//
暑い、兎に角暑い、 駅を降りてタクシーを待っている数分の間に腕はジリジリ焼けてくる感じがする。袖の無いところだけが焼けている。
夏だもの暑くて当たり前とは思うけれど、テレビのニュースでは北海道も34度あると放送している。雨の頃は嫌と言う程振り続けて、日照りの夏はこれでもかこれでもか、と照りつけてくるようで、大自然界はもう加減が分からないほど狂っているのだろうか?
鹿児島の友人は言う、昔子供の頃遊んだ、飛び込み台の段数が海の中へ消えて、確実に地盤は下がっているらしい。沖縄や南国の海ではなく、伊豆の浅瀬にサメが訪れたり何の前触れなのかと不安になる。
夏だもの暑くて当たり前とは思うけれど、テレビのニュースでは北海道も34度あると放送している。雨の頃は嫌と言う程振り続けて、日照りの夏はこれでもかこれでもか、と照りつけてくるようで、大自然界はもう加減が分からないほど狂っているのだろうか?
鹿児島の友人は言う、昔子供の頃遊んだ、飛び込み台の段数が海の中へ消えて、確実に地盤は下がっているらしい。沖縄や南国の海ではなく、伊豆の浅瀬にサメが訪れたり何の前触れなのかと不安になる。
2007年8月5日日曜日
乳酸が取れて楽です
暑さの疲れや、日々の疲れがピークに達していた、特に顔のたるみは我ながら可愛そうに見えた。夜は寝る前にパックやらマッサージやら施しても引力で落ちた(たるみ)はもう戻らない。何とかしなくてはと思う矢先であった。今日はヒートエステの2回目の施術の日//
ヒートエステを施して貰い、鏡をみた。えぇ、ビックリ//
そうなんです、アップしているのです。私の大きな体の隅々までが軽くなった。爽快感は言うまでもない。身体も温かくスッキリしてくる。肩の凝りや、万年痛い腰も痛みが無い。肩は 乳酸が取れたようで楽なのです。
このまま、先生のカリキュラムに添っていけば2ヵ月後私は見違えるよなスリムになれるはずだ//肩凝りがなくなるのと、腰痛の消えるのが一番の楽しみなのですが、実は、、、
楽チンしてスリムなんて、だからこそ、その分本気で取り組んでいるのです。
ヒートエステを施して貰い、鏡をみた。えぇ、ビックリ//
そうなんです、アップしているのです。私の大きな体の隅々までが軽くなった。爽快感は言うまでもない。身体も温かくスッキリしてくる。肩の凝りや、万年痛い腰も痛みが無い。肩は 乳酸が取れたようで楽なのです。
このまま、先生のカリキュラムに添っていけば2ヵ月後私は見違えるよなスリムになれるはずだ//肩凝りがなくなるのと、腰痛の消えるのが一番の楽しみなのですが、実は、、、
楽チンしてスリムなんて、だからこそ、その分本気で取り組んでいるのです。
2007年8月2日木曜日
百日紅
街路樹の百日紅がようやく花を付け始めた。まだ薄いピンクで少しひ弱い感じがしないでもない。夏を代表するこの花は、咲いては散り咲いては散りしながら10月頃まで息長く存在する。お寺の花という気がしていたが、この頃は街路樹になって目を楽しませてくれている。
供養花ではないが屋敷には植えては成らないと聞かされた事があった。多分(さるすべり)と言う字の持つニュアンスが家運が下がると表現したのだろう。この百日紅の花が私は大好きだが、訳を聞かれると、やはり真夏の太陽に照り付けられながら赤く元気良く、風に吹かれてゆらゆら咲いている姿は生命力の強さを感じ、元気を貰えるから。
炎天の 地上花あり 百日紅 (高浜虚子)
8月から10月ごろまでの100日間どうかお天気で暑さを和らげてくれる花を楽しませて下さいと祈りたくなる。
供養花ではないが屋敷には植えては成らないと聞かされた事があった。多分(さるすべり)と言う字の持つニュアンスが家運が下がると表現したのだろう。この百日紅の花が私は大好きだが、訳を聞かれると、やはり真夏の太陽に照り付けられながら赤く元気良く、風に吹かれてゆらゆら咲いている姿は生命力の強さを感じ、元気を貰えるから。
炎天の 地上花あり 百日紅 (高浜虚子)
8月から10月ごろまでの100日間どうかお天気で暑さを和らげてくれる花を楽しませて下さいと祈りたくなる。
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