気学の暦を脳みそが出てくるほど読みなさい//と言うのが師匠の口癖であった。当時40歳を目前にしての入門であった。一応社会的にも経済的にもそこそこの形が出来ていた為に、鼻持ちなら無い勢いがあり、怖いもの知らずの無頼な感じを漂わせていたかもしれない。 易学の世界へ誘われてスーと従った私は何年経っても、その時の誘いの言葉が耳から離れた事は無い。
(これから先を生きてゆく為に易があなたの支えになります)
自分の心の慰めに求めて学んだ世界では有ったが、月日と共に必然的にこの道しか活きる道が他にはもう無い// と言うまでに成るのに大変な道のりであった。 片足は易の道、片足はもうやめて他の道へ。のふた心が何時までも続いた。 破天荒な気ままな私はいつも師匠の立腹の種であったが、それでも一生懸命に学ぶ姿に目を細めてくれていたように思う。この頃若い人たちに手解きをする度に、師匠の困惑していた顔が思い起こされて若気の至りを自分でも懐かしく思い出している。